明治初めのころ「湯せんぺい」は旧島原藩主松平公が、小浜温泉の温泉が体によいということから作らせたと伝えられています。雲仙を代表するお菓子のひとつで、小麦粉・卵・砂糖・温泉水を生地に練りこみ焼き上げます。
大正2年「湯せんぺい」は当時大変高価なお菓子であり、大缶入りで30銭、小缶入りで17銭であったそうです。このとき白米一升(約1.5kg)で18〜20銭、アンパン1個2銭でした。「湯せんぺい」の原料としては水の変わりに温泉水を使うこと。雲仙地区ではイオウの濃度が濃いため使用できず、小浜の名物となりえたのです。名物として売り出されたのは明治17年ごろであり、ほのかな甘さと、サクッと軽い歯ざわり、優しい味わいが特徴的です。
大正6年、三宅商店初代三宅松之が、当時この絵を描きに来た吉田初三郎と会い、「湯せんぺい」を円形にして作ったものであり、当時流行していた鳥瞰図(ちょうかんず)を使ったパッケージとともに誕生しました。長崎県民には現在では小浜せんぺいとして親しまれているお菓子です。
湯せんぺいに恋をした蒋介石と張群
台湾の蒋介石と張群が小浜温泉に2回・明治45年(1912年)6月と昭和2年(1927年)9月に各2ヵ月間滞在した。 明治45年は辛亥革命後袁世凱に追われ、昭和2年は上海で反共クーデター失敗による日本への亡命であった。 小浜温泉で両者は湯せんぺいを好きになった。太平洋戦争後の昭和24年(1949年)には蒋介石の国民党政権は毛沢東の中国共産党政権により台湾へ追われた。 蒋介石と張群は湯せんぺいの美味しい味を忘れては居らず、台湾の中華民国政府を訪れる日本人は湯せんぺいをオミヤゲに持っていってた。 台湾の時報週刊 192号(昭和56年)に掲載された。